境内散歩

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①仁王門
(におうもん)

①仁王門
(におうもん)

宝暦2年(1752)に造られたもので、箱根戦争の戦禍を免れて当時のまま現存しています。左右に金剛力士像がいます。宝暦9年(1759)のあと血脈桜の伝説に登場する穏譽(おんよ)上人によって建立されたものです。

②鐘楼門
(しょうろうもん)

②鐘楼門
(しょうろうもん)

弘化4年(1847)建立。春彼岸からは午後6時に、秋彼岸からは午後5時に時の鐘を撞いております。光善寺の晩鐘は松前八景の一つとなっております。

③経堂
(きょうどう)

③経堂
(きょうどう)

経堂は古くからあったようですが、明治16年(1883)に改築し北海道では珍しい回転式経蔵となっています。中には一切経が収蔵されており、これを一回転させると一切経すべてを読誦(どくじゅ)するのと同じ功徳(くどく)があると言われております。転輪像(てんりんぞう)を考案した傅大士(ふだいし)と二童子(にどうじ)の像が安置されております。

④義経山の碑
(ぎけいざんのひ)

④義経山の碑
(ぎけいざんのひ)

「義経山」の板碑は、明治維新の際の箱館戦争まで高山寺にあった義経山欣求院の山号。戊辰戦争の戦火で寺は焼失、廃寺となりましたが、義経寄進と伝わる仏像と、「義経山」の碑が光善寺に残されたものです。

⑤大石仏(共同墓地)
(だいせきぶつ)

⑤大石仏(共同墓地)
(だいせきぶつ)

寛政9年(1797)に造られたもので、城下にあった芝居小屋の屋根が大雪により崩壊し、多くの犠牲者を出したことへの慰霊で造られました。

⑥血脈桜
(けちみゃくさくら)

⑥血脈桜
(けちみゃくさくら)

日本で唯一ここ光善寺境内のみで生息するサクラの名木。樹齢はおよそ300年。品種は北陸地方に自生する桜とされており、北前船とともに運ばれたと推察されています。

⑦光善寺白八重桜
(こうぜんじしろやえざくら)

⑦光善寺白八重桜
(こうぜんじしろやえざくら)

血脈桜同様に光善寺に生息する桜の木で、昭和43年8月(1968)光善寺住職松浦氏と浅利政俊氏が命名した桜の木。清楚な雰囲気ながらも美しく優雅な佇まいが特徴です。

⑧本堂

⑧本堂

光善寺は文化5年(1808)、天保8年(1837)、明治36年(1903)と三度の火災に遭いそのたびに本堂も烏有に帰しました。明治の火災からおよそ100年間仮本堂のままでしたが、平成13年(2001)31世住職の代に新本堂を建立することがかないました。

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本堂内のご案内

本堂

光善寺は文化5年(1808)、天保8年(1837)、明治36年(1903)と三度の火災に遭いそのたびに本堂も烏有に帰しました。明治の火災からおよそ100年間仮本堂のままでしたが、平成13年(2001)31世住職の代に新本堂を建立することがかないました。

中央の仏様像

平安時代に造られたもので、北海道有形文化財に指定されています。

三十三観音
(さんじゅうさんかんのん)

本堂内左側に位置します。

叶五社稲荷大明神
(かのうごしゃいなりだいみょうじん)

本堂内右側に位置します。

撫で仏

撫でた箇所が良くなると言われています。

法然上人像

浄土宗の開祖です。

棟札(むなふだ)

全て江戸時代に描かれたものです。現在もなお綺麗に保管されています。

雲龍図(うんりゅうず)

2014年、日本画家、佐藤宏三さんによって描かれたもので、無垢の檜板に直接墨彩で描かれた作品です。佐藤さんのお母様のご実家が光善寺の隣だったことから、依頼を引き受けて頂きました。天井画の横には、画家佐藤さんに関する記事が設置されています。